新原 豊(にいはら・ゆたか)
Vol.17 他者を思うと力が出る 2
前回のコラムでクラゲに刺され溺れそうになったときのことをお話ししましたが、私はクリスチャンですので、いつもですと、こういうときにはいつにもまして神様に祈り、助けを乞(こ)うこともできました。ところが恥ずかしいことに、そのときの私は祈りも忘れて、ほんのわずかな時間ですが、与えられた命をみずから投げ出して、楽になることを願ったのです。
しかし次の瞬間、私は目が覚めたように思い直しました。このまま死んでしまえば、自分は楽だが家族は悲しむだろう。軌道に乗りかけている新しい仕事も中断して、関係者に多大な迷惑をかけることにもなるだろう。楽になりたいなどと、なんと自分勝手で無責任なことを考えたのだろう。私はわれに返って助命を神様に嘆願したのです。
すると、祈りが届いたように足が岩にぶつかり、その岩の上に私は立つことができました。そこで呼吸を整えたあと、何とか無事に浜辺に戻ることができたのです。
あとになって思い返したのは、たとえ一瞬であっても、なぜ自分の命を投げ出そうとしたのかということでした。
それは、そのときの私には自分の心しか見えていなかったからなのです。とにかく、この苦しさから解放されて楽になりたい……。そんな自己中心的な思いだけで心がいっぱいになってしまっていたのです。
それが家族や仕事の関係者のことを思い出し、心が遠心的に外へ向けられ、利己を離れたときにはじめて、「生きよう」「生きたい」という生命維持のための本能がわいて、生きる方向へとおのずと促されたわけです。
自分の心がどれだけ自分のことだけにとどまらず、人のことにも思いを馳(は)せられるか。心の中でどれだけ「自分」が占める部分を小さくして、「自分以外」の領域を広げられるか。
そのことが人間の幸と不幸を、ときには生と死も分ける大きな要因となる……。強い自戒を込めて、いまの私はそう考えています。