新原 豊(にいはら・ゆたか)
Vol.4 挫折は夢を叶えるために与えられるもの
ハワイに移住したあとは勉強を重ね、そのかいもあって高校時代までの私は、ちょっとした優等生でした。大学の医学部にもスムーズに進学できたので、ちょっと天狗(てん ぐ)になっていたのかもしれません。医学部はトップで卒業しよう。それで自分は、ハーバードやUCLAのような有名な病院に研修医として入るんだと思っていたのです。しかも、私がめざしたのは当時倍率のとても高かった腫瘍(しゅ よう)内科でした。
ところが、いろいろなことがあり、まったく勉強が手につかなくなってしまったのです。私の成績はみるみる急降下し、必須(ひっ す)科目の薬学の試験に二回も落ちてしまいました。
これで単位が取れなかったら落第決定という大事なテストの日、とうとう追い詰められた私は、気づくとただひたすら神様に「合格させてください」と祈っていました。
それまでは、自分が努力をすれば何とかなるとか、自分で何とかしなければいけないという考えがいつも頭にありましたが、そのときは、もう本当に祈る以外にできることが何もなくなってしまったのです。心の底から真剣に祈りました。
すると不思議なことに、その試験だけ、ほどよく高い点数を取ることができたのです。私は総合評価で合格点をギリギリクリアし、単位を取ることができました。
そういうわけで、医学部を卒業したときの私の成績はけっしていいとはいえないものでした。
その後、何とかオハイオ州にある病院の一般内科に採用してもらいました。ところが、その内科での三年間の研修中に、不思議なことが起こりました。
上級研修に進むときに、腫瘍内科を希望する人が一時的ですが極端に減ってしまったのです。がん医療への世間の注目が、ちょうど一段落した時期だったからかもしれません。数年間にわたりあちこちの病院で定員割れとなり、腫瘍内科の研修医が不足していました。そこで腫瘍内科を希望していた私にも声がかかり、世界でも最高水準の研究施設があるUCLAの腫瘍内科に入ることができたのです。
腫瘍内科の研修は、いままた受け入れられるには競争率の激しい分野となり、二とか三という少ない定員に、トップクラス三〇〇人ほどの研修医の若者達から応募があります。
わたしは謙虚にならざるをえません。なぜなら、若い上級研修医たちの優秀さに圧倒されるほど、自分の腫瘍内科に進めたことが自分の能力によるものではなかったいうことが、本当によくわかってしまうからです。というわけで、「ドクター新原、○○の研究室へ行きたいのですが推薦状を書いていただけませんか」なんて学生に頼まれると断れず、その人がどれだけ優秀か自分の思いの丈を推薦状に綴(つづ)ります。
いつしか私は大学で「推薦状のプロ」と言われるようになりました。