新原 豊(にいはら・ゆたか)
Vol.2 シュバイツァーに憧れて医師の道へ
私が鎌形赤血球症の患者さんにはじめて出会ったのは、まだ医師として駆け出しだった二〇代のころでした。
患者さんの多くは私と同年代でした。冗談を言い合ったり、仲よくなった患者さんも大勢いましたが、彼らといっしょに年を重ねることは叶(かな)わず、「この痛みに耐えるなら死んだほうがまし」と言うほどの壮絶な痛みとの闘いの末に多くの方が亡くなりました。
この世にある痛みのうちもっとも強烈なものは、骨の折れる痛みだといわれていますが、鎌形赤血球症が骨にまで及ぶと、体中で骨折が起こっているような痛みに襲われます。その痛みは想像を絶し、患者さんの苦しんでいる姿は、医師も思わず目を背けたくなるほど悲痛なものでした。
同年代の若者が効果的な治療法もなく、こんなに激しい痛みと闘いながら人生を終えなければならない現実に、私は大きな憤りを感じました。
なぜ、こんな痛みがなければいけないのか。
このような痛みとともに生きる意味は何なのだろうか。
目の前で苦しんでいる人を苦痛から救いたい。
医学の力でこの病気を解明し、患者さんを救うことが私の使命だと思いました。
振り返れば、鎌形赤血球症との出合いは運命だったのかもしれません。
私が医師になりたいと思ったのは一二歳のときのことでした。シュバイツァーという人物への強い憧(あこが)れがきっかけです。
シュバイツァーは、一八七五年、ドイツの牧師の家庭に生まれ、アフリカのガボンへ行き、第一次世界大戦中には捕虜となりながらも、医療活動と宣教に従事しました。その功績は、マザー・テレサやガンディーと並び称され、一九五二年には、ノーベル平和賞も受賞しています。
私自身がクリスチャンの家庭で育ったことも影響していると思いますが、伝道と医療活動に生涯を捧(ささ)げたシュバイツァーの姿は、一二歳の私にとってはじめてのヒーローでした。それ以来、シュバイツァーのように僻地(へき ち)医療に携わり、困っている人を助けたいと思うようになったのです。
一二歳の少年が抱いた純粋な思い、すなわち「人の役に立ちたい」という思いは、それ以来、いつも私と共にありました。
それから四〇年後、鎌形赤血球症の研究のため、本当にシュバイツァーと同じアフリカの大地に立っていたとき、私は言いようのない感動と運命の不思議を感じずにはいられませんでした。